1875年のダブリン・リバティーズ地区の大火事の話

歴史
05 /30 2020

1875年にダブリンのリバティーズ地区で大火事が発生しました。当時のダブリンはウイスキーの世界ナンバー1の生産地。今のティーリング蒸留所あたりにあった、マローンズというウイスキー等の保税倉庫から出火します。

 

火事が発生したのは618日金曜日の夜のこと。最後に倉庫の鍵を閉めたのは徴税官。それが午後4:45のこと。そして、最初に火の手が発見されたのは午後8:30ごろです。消防隊が駆け付けたころには、これまで見たことがないほど火は大きく広がっていました。

 

樽が火に包まれ、ウイスキーが漏れ出すと、それに火が点いて樽は大きな音を立てて爆発します。大量の樽を貯蔵していたマローンズ倉庫からは、59メートルの青い炎を上げながらウイスキーが川のように流れ出します。ある目撃者は、この様子を「燃える洪水」と表現しています。マローンズ倉庫は318リットル入りのウイスキーの樽が少なくとも1800あったと言われており、当時の新聞はワインやブランデーを含めて5000樽あったとも書いています。

 

火は近隣の家屋も襲います。人々は持てるものだけ持って大慌てで避難します。通夜を行っていた家では死体を抱えて逃げ出したそうです。緊急手段として馬や豚や犬は放たれ、そうした動物がその辺を走り回っています。

 

野次馬たちも集まってきます。日本でも「火事と喧嘩は江戸の花」などといいますが、娯楽の少ない時代には、大きな火災というスペクタクルに不謹慎ながらも人々は興奮したのでしょう。さらにこの火事ではウイスキーの匂いに引き寄せられてきた人もいます。人々はビン、ポット、帽子、靴など、使えるものをすべて使って流れるウイスキーを掬ったそうです。そして、この群衆をコントロールするために、数多くの警官と軍隊が駆り出されました。


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(下でご紹介するThe Great Liberties Whiskey Fire』という本から。元々は L'Illustrationというフランスの新聞に当時掲載された挿絵)


水をかけるという従来のやり方では、逆にウイスキーの流れに乗って火が拡散してしまうので、風変りな消化方法が採用されました。肥え(つまり、牛馬の糞)を使って流れ出るウイスキーを堰き止めたのです。動物の糞以外にも、住居の裏庭に貯めてあった人間の排泄物(今ほど下水が近代化されていない時代です)、皮なめし工場の廃棄物(当時の皮なめしの工程では、尿、犬の糞、動物の脳みそなどが使用されていました)が大急ぎで集められました。

 

もう1つ有名な話は、この火事に関連して死亡したのは13人とされていますが、誰も火事の直接の被害で死んだ人はいないということです。火傷や煙で死んだ人もいなければ、倒壊する建物の下敷きになって死んだ人もいないのです。なんで死んだかというとアルコール中毒です。火事の見物に集まった野次馬たちの中に、帽子や靴で流れているウイスキーを掬って、しこたま飲んでしまった人がいたのです。

 

火災が発生した夜は、たまたまアメリカ人の記者が数多くダブリンに滞在していました。アメリカ対アイルランドの射撃の競技会が開かれていたので、取材に訪れていたのです。そのため、この火災とそれに伴う大混乱は、アメリカでも大きく報道されたようです。

 

以上、リバティーズの大火災について知ったような顔をして長々と書いてきましたが、元ネタは『The Great Liberties Whiskey Fire』という本です。先日(20202月頃)、ティーリング蒸留所のギフトショップに言ったときに購入したものです。100ページに満たないソフトカバーですから、小冊子といってもいいかもしれません。本の発行は201912月です。

 

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この本のおもしろいところは、著者のラス・ファロン (Las Fallon) さんが、熱心なアマチュア歴史家であると同時に、元消防士だということです。30年にわたってダブリンの消防署に務めていたそうです。ですので、火を消す側からの視点で書かれているのですね。

 

牛馬の糞を使って溶岩のように流れるウイスキーを堰き止めるというアイデアを出したのは、当時のダブリンの消防隊長だったジェームズ・イングラム氏。

 

イングラム氏は1850年代にアメリカに移住し、ニューヨークで印刷関連の仕事をしながら、ボランティアで消防隊に参加していました。そこで培った経験を、ダブリンに戻ってきて生かしたわけです。

 

イングラム隊長は1881年に結核でこの世を去りますが、ダブリン市内には彼の功績を称える記念碑などなく、彼の墓には墓石もないそうです。本の著者のファロン氏は、そのことを嘆いておられます。

 

出火元となったマローンズ保税倉庫のあった場所は、コーク・ストリート、アーディー・ストリート、チェンバー・ストリート、オーモンド・ストリートに囲まれた一画です。ここは、45年前まで柵に囲われた空き地だったのですが、今では市民が憩える公園に生まれ変わっています。

 

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このあたり一帯は再開発が進んでいて、大火災があった当時の面影はほとんど残っていません。道を挟んでマローンズ保税倉庫の東側にあったワトキンス醸造所だけが廃墟のような形で残っています。ただし、建物の一部は今でも倉庫または事務所として使われているようです。


 

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ちなみにファロンさんの歴史への熱意は息子さんのドナルさんにも受け継がれたらしく、ドナルさんはダブリンの歴史や文化について語る comeheretome.com というウェブサイトを主宰されています。 


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コメント

非公開コメント

面白い!

面白かったです、ありがとうございます!
あの古い倉庫が火事の記憶を留めるものだったんですね、こういう歴史検証大好きです。

ありがとうございます

>>naokoguideさん
こんにちは。コメント、ありがとうございます!
そう、あの古い倉庫、いまでも廃食用油の会社が保管場所だかなんだかで使ってるんですよね。あとArdee Street に面した建物はまだ事務所として生きていて、Kenchiku なんて名前の仕立て直し屋さんが入っていたりしますね。

tarafuku10

アイルランド・ダブリン在住。男性。